死生観の話 2023

2023年10月20日


昨日からの目眩。しかし今日はNICOTINEのミックス作業を終わらせなきゃいけない日。

 

スタジオにて録音データを確認しながら「やっぱり俺のギターの音は色気があっていいなぁ」なんて思いながら作業を進める。

 

エンジニアさんと一緒に概ね8時間くらいやったところで完成が見えてくる。

 

非常に効率の悪いお仕事。俺はこれが好きなのだ。

 

 

冒頭に書いた目眩はたまにあるんだが、今日のは中々の大物だった。

 

そして親父の一周忌がそろそろだなんて思ってたら、自分の死生観の話を書きたくなったわけです。

 

これに共感して欲しいとも思わないし、否定するなら俺のいない場所でやってくれと思う。

 

こんなものは個人の持ち物であるべきだし、

最期に納得できるものが美しかろうが醜かろうが、どっちでもいいんじゃなかろうか。

 

 

まず、自分が死んだら葬式はやってもやらなくてもどっちでもいい。

 

自分が死んだのを見た人が必要だと思えばやればいいけど、俺はやって欲しいとは思っていない。

 

そんな事に金をかけるくらいなら、俺のPCから俺の音源を引っ張り出して大々的に宣伝して売ってくれと思う。そっちの方が自分にとっては意味がある。

 

遺された人たちに必要な儀式、って意味合いは理解できるんだけど

 

あちこちによくわからない金を払って悲しいねなんてなるくらいなら、それよりなんかうまい物でも食べてくれと思う。

 

葬式はやるべきものだって先入観に巻き込むのは勘弁してくれ。

 

仏教の考えは好きだけど、日本の風習で継続的にだけ残ってるものには魅力は感じない。

 

例えば戒名に「音」ってのを入れるのにいくらかかるよ、なんて話は非常に馬鹿らしい。

 

Shunpのままでいい。

 

棺桶にはギターや音源は入れないで欲しい。死んだら死んだで多分忙しくなる。ギターはどこかでまた気に入ったやつを勝手に手に入れるし、曲もまた作る。

 

自分の良い所を無理やり話題にしないで欲しい。俺はそんなにできた人間ではないし、美しく生きたいって願望はあっても、それを行動には移さなかった人間だ。

 

それを見られずに美徳にされるなんて、忘れられるのと一緒だ。

 

あいつは変なやつだった、でもこんな時は優しかった。それで十分だ。

 

 

音楽だけで長く幸せに生きるのは難しい。と言うか不可能に近い。

 

だってそうじゃないと釣り合いが取れない。

 

いいライブやいい曲ができた時の輝きは一瞬あればいい。じゃないと明る過ぎて目的を見失う。

 

自分が音楽を好きになったのは世の中を信じれなかったからだと思う。

 

世の中を真っ直ぐ信じれていたら、曲を書く必要なんてないのかもしれないし、普通に生きれてたらギターなんて二の次三の次だ。

 

そんな事はわかってる。その上で大きな声でくだらないと言えるために、曲がありギターがあるのだ。

 

すべてを疑って、立場は強くなく、そのくせに武器を持っている。それこそがミュージシャンってやつではなかろうか。

 

考えなくていい疑問をわざわざ抱えて、それに対する自分の小ささを喚きながら言葉にするのが詩人ではなかろうか。

 

YouTuber?インフルエンサー?

 

表現者が小さな箱に収まるな。その箱の中のルールで生きるな。

 

やるなら箱を作れ。

 

頭でわかっていても、自分の周りの世界がそうじゃないのは俺もよく知ってる。

 

だからと言って自分の心を塞いでまで守るほどのものではない。ずる賢くやればいい。

 

 

ところでこの世に生まれてきた意味ってのはなんだろう?

 

そんな事は簡単だ。

 

生まれたこと自体が意味なのだ。

 

その後に続くのは意味ではなく物語だ。

 

自分が面白いと思える物語であれば、それはまた最期に意味として戻ってくるだろう。

 

そうでなければただの説明書だ。この人はこう生きてこう死んだんだよって記録だ。

 

 

では物語とは何か。

 

それはきっと違う誰かをワクワクさせたり不安にさせたり、感情を動かすものだろう。

 

上っ面ではなく、情けないところもカッコ悪いとこも含めてやっと人間の物語なのだ。

 

 

そして、生きてる間に人を愛することを忘れるな。

 

嫌われてる人と、愛されていない人は似ているけどまったく違う。

 

愛されていない人は、やはり人を愛してはいない。

 

それはたくさんの偶然の中でそうなってしまったのかもしれないけれど、愛してはいけないなんてのは思い込みだ。

 

愛されるのが先か、愛するのが先か、それはどっちでもいいけど、自分の視界だけで否定できるほど小さく狭いものではないはずだ。

 

 

そして才能について。

 

才能がある、ないなんて議題はなんとも間抜けな話であって

 

才能なんてものは結果論だ。

 

好きなものを好きでいられるかどうかだ。

 

実際、才能を正確に測れるものなんてないし、それを本気で考え込む暇があったら好きな事してたらいい。

 

強いて言えばそれこそが才能だろう。

 

 

自ら命を断とうと考える事は誰にでもきっとある。

 

真剣に生きれば生きるほどその機会は増えるかもしれない。

 

だからこそ、忘れないで欲しい。

 

その判断は間違っていると言い切れる生き方もあることを。

 

今は手元にないかもしれない。

 

でも手を伸ばしてみたら、必ず触れれるものがある。

 

何も触れなかったら、もっと手を伸ばせばいいだけの話。

 

もしどこまでも手を伸ばしてもどこにも触れれなかったとしたら

 

それは価値のある絶望として本を書けばいい。きっと誰かを助ける事になるだろう。

 

もしかしたらその時、それが自分の欲しかったものになっているかもしれない。

 

事実、俺はギターに手を伸ばせたから

 

価値のあるワガママとして曲が書けている。

 

 

そして最後に俺の望む人生とは

 

ここまで書いた全てのことをユーモアで包んで誰かに渡せる人生だ。

 

剥き出しの傷の上にラクガキをして「こうするとなんか魚みたいに見えるねん!笑」とか言ってる人生だ。

 

 

不思議な事に、こんな感じで死にたい!って話をしてたはずなのに

 

最後はこんな感じで生きたい!って話になっている。

 

すごく自分らしく、人間らしいなぁと思う。

 

 

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