2022年2月23日
もうすぐ誕生日だなぁ。
またひとつ線を引かれるような思い。
年齢を重ねる事は当たり前の事なんだけどな、世間はそれを気にしろと言ってるような気になる。
ひとつ思うのは、華やかな舞台にまだいれるかどうか。
強制退場もあり得る事をもうずっと続けれている。ありがたい話だ。
かと言って芸能人になりたいかと言われればそうではなくて
リミットが外れた華やかさには憧れがあるけども、自分が生きやすいとは思わない。
わがままで贅沢な話なんだけど、自分の生きやすい華やかさを求めるとすると、自分で文化を作るしかない。
だから「自分でいたい」って言葉にも置き換えれると思う。
それはとても遠回りで、時に近くにいる人を引き離す事もある。
まだ世の中にない「当たり前」を作ろうとしてる…なんて言い方は大袈裟かもしれないけど、そんな大袈裟な日々の中に揉まれて自分のしていた話すら時に忘れてしまっているのは申し訳なく感じる。
でもそうやって保ってきた今があるわけです。
この2年、ハッキリ言うとコロナ禍以降。
世界はろくでもなかった。
今思うと明確な理由もなく傷つけたり傷つけられたりしてただろう。
それは偉い人なのか誰かの都合のためにコントロールされたものであって、本来のその人の持つ人格ではないにせよ
結果は出てしまっている。
もちろんコロナ禍のおかげで出会えた人たちもいる。
それが支えになり、自分を形成してくれてたのは間違いない。
自分にも止まっていた時期がある。
筆が止まる、と文章を書く人なら表現するのかもしれないが、音が止まるのだ。
曲を作れば作るほど部屋の隅に追いやられるような感覚。
それが幻想だとわかっていても、日常は容赦ない。
そんな物は乗り越えれるのだけれど、どうしても時間は必要になる。
なんと言うか、良い意味でいい加減な自分を認める時間が必要なのだ。
やろうとしてた事も止まってしまっていた。期待を裏切っていたかもしれない。
厚顔を被り生きるのにもまた覚悟がいる。
この後何事もなかったかのように世の中は戻っていくのだろうか?
その時にこの2年程度の想いは消されてしまうのだろうか?
曲を作ってた理由としてはそれを記録してただけでも充分かもしれないけど、それだけだといたたまれない侘しさが残る。
ライブでやって、誰かの心に残りたい。
曲本来の場所はそこにある。
もう自分たちでも忘れてしまっているけど、倒れそうなくらい空腹なのだ。
どれくらいの意味があるかハッキリしていなくてもマナーは守る。ナイフとフォークを使う順番くらいは学んできた。
テーブルが残ってるだけでもマシだったかもしれないけど、隣のテーブルもどうやら大変そうだ。
あのテーブルなんて前菜しか運ばれてきていない。
じゃあ自分たちも我慢しなきゃな…なんて空気の中、食事が終えれるかどうかも心配になってきた。
食材はあるらしいが、よくわからないけど傷んでる可能性があるらしい。
こっちはとにかく腹が減ってるんだ。「じゃあその食材を見せてみろよ」と文句のひとつでも言いたくなってくる。
そんな雰囲気でズレた毎日が日常のオブラート一枚隔て続く。
せめていつかの楽しい食事のように、ライブがしたい。
実は致命的なダメージと感じてるかと言われれば、そんな事はない。
常に流れてる時代の中で変化は当然だ。
今回はそのスピードが異常だっただけ。
息切れしてるところをぶん殴られただけ。
こちらのターンではなかっただけ。
ただそれだけ。
こっちのターンになった時に
笑って「こうすると楽しいよ!」と言える人でいたいものです。
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