親父が亡くなりまして

2022年11月7日


まずは親父の葬儀に関わってくれた皆様、心よりお礼を申し上げます。

 

そしてしばらく出荷や返信などが遅れてしまっておりご迷惑をおかけして申し訳ありません。

 

 

秋の青空の下、無事に通夜から告別式、火葬まで終了いたしました。

 

まだ役所の手続きを全て終えていないので、落ち着くまでまだ時間がかかると思いますが、少しづつ進めております。

 

11/1、親父は旅立ったわけですが、俺は表現を生業としてる人間なので、心情も含めて綴ってみたいと思います。

 

 

地元の伊勢に戻るために千葉から総武線に乗って、新幹線に乗り換えるための東京駅。

 

イヤホンをして忙しく歩きながらもスマホからは目を離さないのが当たり前の風景。

 

ああ、嫌だ嫌だ。俺はまだこの風景の中にいるのか。

 

こんなになってまで自分たちは何にしがみついているのだろうと感じながら、伊勢を目指す。

 

近鉄に乗り換えて地元に近づくけど、窓の外はすっかり夜。せめて明るければいいのにな。

 

 

昨年から病気が発覚し、実はそう長くないのはわかっていたんですが、親父が亡くなった報せを聞いた瞬間は頭をぶん殴られたような気分でした。

 

華やかなアーティスト活動やライブを続けながらも、現実として治療費などとも付き合っていかなければいけなかった日々。

 

それによって動けなかった事実もあり、一部の方は知っていてくれたけど、事が終わってから謝ろうと思ってました。心配かけてごめんなさい。

 

 

とても不思議な感覚で、未だに現実と夢の中が半々みたいな感じです。

 

うちの親父は建築関係の図面屋さんで、長く県庁に勤めておりました。

 

退職後も何か仕事をしていたと聞いておりますが、詳しい事までは知りません。

 

お通夜も告別式も火葬の瞬間さえも、頭に薄い膜が張られてたように、どこか遠い世界を見てるような感じでした。

 

元々俺は高校生の頃からほとんど外にいる事ばかりで、家について知らない事もとても多いと思います。

 

ギターを弾いて生きる事を、10代や20代の頃は親父は反対していたと思います。

 

大人になってからよく分かるのですが、たしかに世の中は甘くはない。社会の中で立場を作る必要性を親父は伝えてくれていたのでしょう。

 

でもいつかのライブにおかんと一緒に遊びに来てくれた時は、楽しそうにしてくれていました。

 

 

おかんの話によると、晩年の親父はとてもわがままに自分のやりたい事や食べたいものをよく言葉にしていたとのことです。

 

おかんは大変だったと思うけど、なんだかそれを聞いて俺は嬉しくなりました。

 

生きようとしていたんだなと。

 

結局それを通し切って、役所の手続きなどそのままで逝ったので、俺は今その処理に追われておりますが 笑。

 

 

親父は実父ではありますが、俺は血の繋がりってのをあまり重視しておらず、出会った人とどう接してどう価値観を作っていくかってのに重きを置いています。

 

家族縁なんて言葉からはわりと遠い人間でしょう。

 

しかし、昔行った旅行の風景や、何気ない外食、日常の言葉たちが今になって頭を巡るのです。

 

居場所がないと感じていた事もあった地元や実家にも、距離を置けて感じれた事があるのかもしれません。

 

 

俺が一番心配してた事。

 

それは親父が自分の人生を諦めてしまわないかって事。

 

失踪をしたり、自決をしたり、そんな可能性を子供ながらに親父に感じていました。

 

理由があるわけでなく、直感的に。

 

なので、病気と言えど天寿をまっとうした親父を見て安心しました。

 

そしてその場合は泣かないでおこうと決めていました。ゴールを迎えた人は晴れやかに送りたいと思っていたので。

 

 

大人になってわかった事ですが、普通に生きて普通に死ぬ事ってとても大変で

 

どれだけ歳を取ってもきっと闘わなきゃいけない事があって

 

きっとひとりでいると自分の命を含めて手放してしまえば楽になるのにな、って感じる事があると思います。

 

だから周りに人がいた親父は幸運であり、それを使い切ったのだと思います。

 

全力じゃなくていい、至らない部分もあっていい、カッコ悪くてもいい、でも自分らしく生きる事を諦めるな。

 

そんな事を俺に教えて親父は旅立っていきました。

 

 

俺が葬儀などの間、我慢していた言葉がふたつあります。

 

それは「疲れた」と「さみしい」って言葉です。

 

俺には俺の役割があり、その言葉を使うと役割を捨てて崩れてしまいそうだったので。

 

 

出棺の前に、蓮の花を模したメッセージカードを棺に入れれるとのことで

 

「故人に伝えれなかった事を書いてあげてください」って物でした。

 

育ててくれてありがとう、とだけ書きました。

 

親父がこっそり買ってきてた宮沢リエの「サンタフェ」を勝手に見てた事は秘密にしておきました笑。

 

 

人が生きる事も、死ぬ事もとてもパワーが必要なんだと思います。

 

冒頭に書いたイヤホンをしてスマホを凝視している、自分を含めた人の群れはきっと何かに蓋をしながらがんばって生きているのです。

 

偉そうに聞こえるかもしれませんがこれを読んでくれてる人に伝えたいのは、自分に与えられた運、環境、パワーの源を全部使い切って死にましょう!って事です。

 

使い切ってもいないのに諦めるな、そんな親父が貫いたスタイルを抱きながら、俺はこの先も生きていこうと思います。

 

俺には音楽があるし、ライブがあるし、それを見つけれくれた人達がいるって運もある。

 

すべてをぶん殴れるくらいの才能もある。

 

たくさんの感情や経験を曲にするのが、きっと俺の仕事でしょう。

 

 

余談ではありますが

 

火葬が終わった後の骨上げを俺は人生で何度か経験しているのですが

 

親父の骨がとにかくでかくて太くて、火葬場の方も「これは大きいですね!」と言っていました。

 

俺はこんなタイミングで笑いを取る親父に少し嫉妬すると同時に、どんな時でもきっと笑える事があって、それを雰囲気に呑まれずに笑えばいいと言われてる気分でした。

 

「ははは、デケェな!」と言いながら、不謹慎にも笑いながら骨上げをした時間は、きっと俺がこの後生きるパワーになるのでしょう。

 

沢山の人が笑ったり、明日もがんばってみようかなと思える作品を作る事こそ、俺が手放してはいけないものだと言われているようでした。

 

 

重ね重ねになりますが、皆さんありがとう。

 

俺の気持ちは今日の空の様に晴れやかです!

 

 

そして親父、ありがとう。

 

俺のやれる事を、見守っていてくれ。

 

 

Shunp

 

 

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