2022年1月23日
本日1月23日は自分にとって特別な日です。
9年前の2013年1月23日に僕はSKY records、SKY MUSIC ENTERTAINMNENTの代表取締役に就任しました。
先に少し説明しますが
SKY recordsはNICOTINEが始めたインディーズパンクレーベルで
2000年前後のNOFXのFAT Wreck Cords、Bad RligionのEpitaphなど海外でのインディペンデントのムーブメントに影響を受けてスタートしたと把握しています。
SKY recordsはEpitaphのPUNK-O-RAMAのようにPUNKER SHOTというオムニバスも販売しており、同時期に20歳前後の自分はDONUT MANで単独音源をリリースしたりしてました。
大きな資本が最初からあったわけではなく、少しづつ会社は大きくなっていきます。
(余談ですが今でこそ巨大なパンクレーベルのEpitaphも最初はBad Religionのアルバムをリリースするためにただの一軒家から始まったんですよ)
SKYの特徴としては、海外のバンドやレーベルとの取引が多かった事だと思います。これは英語ができたハウィさんとヤッさんの功績が大きいのでしょう。
やがて日本にもインディーズ・パンクのブームがやってきます。
ハイスタがオリコンに登場し、スネイルランプがTVに出ている時代
まだ僕が在籍する前ですがNICOTINEも NHKのPOP JAMに出演したりしてて、それを見ながら「わけわかんねぇな 笑」と思ってたのを覚えています。
今となっては信じられないかもしれませんが、インディーズでもCDを出せばとにかく売れる時代でもありました。
SKY recordsも大きくなり社員の数も増えていきます。この時期の自分はまだいちバンドマンでした。
しかしやがてメジャーとインディーズの距離が近くなり、シーンも飽和状態を迎えます
僕がNICOTINEに加入したのが2007年、一連の流れも落ち着きが見え始めたけど、まだまだメジャーとの距離が近い時期でした。
NICOTINE在籍中、本当に多くの事を学ばせてもらいました。
いつからか曲のアレンジを行い、販売方法を考え、ライブイベントを企画し、メジャーの会議室から帰ったらインディーズの出荷を行うようになり
なんだか一生懸命やってる内に、代表取締役になっていました。
そんな日々の中、2017年3月11日NICOTINEを脱退する日を迎えます。
当時の事は詳しくはまた改めて書きたいと思いますが、この後は特に自分の主観で書いていきます。
強調しておきますが、事実とズレていたり、誰かの違う想いがあったりする可能性を一度気にせず書きます。
僕がSKY recordsを辞めてしまったら、これまでのSKYのタイトルと歴史がこの世から消滅してしまう
これが自分の中にずっとある事です。
僕はSKY recordsとはかなり初期の頃から付き合いがありました。
大袈裟に聞こえるかもしれませんが、SKYが日本のシーンに与えた影響は少なくありません。
一緒にツアーを回ったバンド達との思い出もあります。
オムニバスに自分たちの音源が入る興奮や、タワレコに自分のCDが並んでる夢のような瞬間の記憶があります。
夢ってのは不可能ではなく、可能なんだって実感があります。
それらの思い出と未来が、この世からなくなるかどうかの選択が自分の手の中にある。
三重県の伊勢市という音楽やライブのシーンから見たら恵まれてるとは決して言えない場所で生まれ育ち、右も左もわからずギターだけでここまでやってきた。
責任とはまた違う使命みたいなものを感じました。
SKYは続ける。
でも普通にやってもきっと無理だ。
そんな事を背負った日々が始まります。
続きはまた明日!
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バンドマン / ギタリスト シンガーソングライター / アレンジャー / WEBデザイナー / プロデューサー
SKY MUSIC 代表取締役
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