2020年 8月20日
都内は何人感染だ、どこで集団感染が出て誰々が悪い、あのイベントが中止になった…など
今日もすでに見慣れた情報が騒がしく目に映る。
普通に生活してりゃ情報は手元に来てしまうし、何かを感じたり考えずにいるのは不可能だ。
問題が起こった時、黙ることはそれを受け入れて許容したのと一緒である。
それはそう。しかし今は匿名で他人を攻撃することができる。
そこに日々の不満やストレスが含まれる。
これが醜い。
醜いものは醜いものを呼ぶ。渦の中に入りきってしまうと、その醜さも正義になってしまう。
そして俺は政治家ではない。音楽家だ。
根本的に他人の生活を変化させる術を現実的に持っていない。
音楽の力は信じている。でもそれが誰かの偏った思想に利用されるのはごめんだ。
生活や人の心の在り方をしっかりと見直そうとする情報は全体の何パーセントくらいだろう。
我々が他人を想う気持ちよりも、幼い自分を守ろうとしてるのはいつからだろう。
コロナじゃなくても、いずれその踏み絵は世の中に現れてたんじゃないかと思う。
はっきりと言ってしまうが、何かに対して自分の意見をSNSなどに書いた方が楽になる。
自分は考えてる感+俺は正義の名の下に言ってやった感がそこに存在するからだ。
言わない方がつらい。だってみんな言ってるし。スッキリしたいし。
まるで名刺交換の様に、どこかから借りてきたような文字が飛び交う。
問題は、ほんとは解決する気もないくせに、スッキリするために言ってることが市民権を得ていることだ。
それがすでにヘイトとして行動に現れている。コロナに感染したら石を投げられる。これの原罪はコロナに感染するってことは、対策をしてなかったから に由来してるんだろう。
大人になるまで風邪をひいたことがない人っているかな?
これについて、コロナはただの風邪的な思想の味方をしたいわけではないと、わざわざ書かなければいけないのも馬鹿馬鹿しい。
俺は音楽家、個の存在としての思想もある。
しかしそれは、世の中を変えるためではなく、まずは自分と自分の文化を守るためにあるものだ。
コロナの話をすると、みんな眉をしかめて顔が沈む。
俺の音楽がいま届く人たちに、俺の今の立場でのコロナの話題が、自分を見てもらうための餌みたいになるのがもうイヤだ。
俺は、あの人はしっかり考えてると思われたいけど、俺を見てくれてる人たちが過ごす日々にほんの少しでも笑顔になれる瞬間が作れる方が大事だ。
特に今はそう感じる。
音楽家としては、これだけでコロナの話を我慢するのに十分な理由なのだ。
繰り返すけど、問題に対して黙ることはたしかに罪である。
しかし情報が吐き出せる場所とその量は、時代とともに変化している。
そのバランスを無視して正義をかざすと、偏ったものに支配される。
我を見失うな、とは昔の名作の台詞。
今は冗談みたいな毎日だ。
他人を嫌いになる素材を誰かが集めてくる世の中だ。
他人に干渉し、他人に干渉される時代だ。
我慢が美徳とは思わない。
しかし今は特に、戦う術のひとつだと感じる。
俺が言ってることも過去や未来的には変化すると思う。
当たり前だよね、生きてるんだから。
バカばっかりだ、で終わらせることができないのが、生きてる上で最も不便なことかもしれない。
でもそれこそが、やはり個の存在としての守るべき自分の内面なのだ。
だからこそくだらない話を、ライブの話を、そして音楽の話をしたい。
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バンドマン / ギタリスト シンガーソングライター / アレンジャー / WEBデザイナー / プロデューサー
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