2024年9月29日
本来、曲なんてものは湧いてくるもんだ。
街の騒音や雑多な日々に混じって出てくるメロディーや言葉、それが膨らんだり萎んだりして最終的に曲になるのが自然な姿だ。
しかし
仕事として音楽をやっていると、それだけでは許してもらえない。
一定の期間に一定のクオリティを持った一定の人に伝わる曲を書かなければいけない。
それ自体に疑問はないが、自然かと言われればそんなことはないと思う。
曲作りは技術や経験、知識でカバーできることも多い。自分の生きてるペースとは別に曲を作らなきゃいけない場合はとても役に立つ。
そこにしっかり感情が入るかは…やってみないとわからない。もちろん最大限の努力をするとしても。
そして時代とともに求められるスピードや置かれる場所の選ばれた方も変わる。
今、ミュージシャンが幸せな時代かと問われれば…違うだろう。
恐ろしいスピードで消費されている。ほんの一瞬気を抜いたら置いていかれる。
10年後残る曲もあるだろう。しかし本来10年後に残る曲達も踏み潰されてるんだろうなと思う。とにかく情報が多すぎる。
気がついたらサブスクアプリのオススメ曲を垂れ流してるのが当たり前になる。そしてそれだけ聴いてりゃいいかなって文化が生まれる。
って事はそこで引っ掛かるような曲を作らなきゃいけない。
イントロを削り、ギターソロを削り
ついでに魂でも削れば沢山の人に聴いてもらえるだろうか。
答えはNOだ。
それは耳に触れただけであって聴いてもらえたとは違うものだ。
聴く、とは一方通行ではない。対話なのだ。
もしこれが暑苦しいと思うのであれば、価値観が変わった少し先の時代になったらこの文章を読み返してみて欲しい。
どこかのターンでこの文章は支持されるだろう。その程度のものだ。
最近「新曲を作ってもしょうがない」って話をよく聞くようになった。
既存で人気の安定してる曲をやってる方が、例えばライブなんかにお客さんは来てくれるんじゃなかろうか。
新曲を押し出してプロモーションする予算なんてどこにもないから、浸透させるのは難しい。曲だけじゃなくYouTube用にMVも作らなきゃいけない。
何を伝えるか、ではなく
どうやって再生してもらえるか、が全てだ。
人生を反映した曲達が、データになって再生数の海に放たれてゆく。
確かに徒労だ。確かに虚しい。確かにやる意味を見つけれない。
しかし、だ。
冒頭に書いたように、本来曲ってのは自然に浮かんでくるもんだ。
月がキレイだった、夏が終わった、あの子に会えた、なんでも曲になる。
今はそれを曲にする意味が見つけられないのだ。
で、あれば
自分のため、でいいんじゃないだろうか。
自分が生きていくために曲を作ればいいんじゃないだろうか。
それをデータの海に流さずに、小さくてもいいから池を作って、そこに少なくてもいいから集まる人を探せばいいんじゃないだろうか。
例えば
今日の帰りの電車に乗って、見かけた人に対して持った感情は、明日には再生できないだろう。
とても楽しく過ごしてた休日が、一通のLINEで台無しになった言葉にならない感情もきっと忘れてしまうだろう。
くだらない毎日に少し笑えたことも、来年には何の事だったかわからなくなってるかもしれない。
しかし、曲を作れば、少なくとも自分の中では再生できるじゃないか。
それがすぐ役に立つものじゃなくても、求められる曲も作りながら日記のように作ればいいじゃないか。
いつかそれを買ってくれる人がすごく楽しいじゃないか。
色々あるけどさ、新曲、作ろうぜ。
少し余談になるけど、昔は映像はPV、プロモーションビデオと呼ばれていた。
簡単に言うとCDを売るための映像だ。CDを売るためのプロモーションだ。
いつからだろう、MV、ミュージックビデオと呼ばれるようになったのは。
なんだかプロモーションじゃないですよぉ〜、下心ないですよぉ〜、音楽の映像ってだけですよぉ〜、みたいなのがチラチラして好きになれない。
敗北を認めるならもっとカッコよく認めて欲しいもんだ。
周りに合わせてMVって言ってるけど、腐っていくのはこうゆうとこからだぜ?
重ねてになるけどさ、つまんないこんな文化に負けないように
そして自分が何をしたかったかを忘れないように
新曲作ろうぜ!
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バンドマン / ギタリスト シンガーソングライター / アレンジャー / WEBデザイナー / プロデューサー
SKY MUSIC 代表取締役
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