2024年7月27日
「才能」
この曖昧でハッキリしない言葉にクリエイターは付き合わなければならない。
もし一度も気にした事がないクリエイターがいるとしたら、一度も他人に会ったことがないか自分以外の作品を見たことがない人だろう。
付かず離れず、時にお守りのように、時に呪いのように我々の周りを才能ってやつは気ままにウロついている。
じゃあその正体はなんだ?って話なんだけど
これがまた意地悪なフォルムをしていて
多くの人を喜ばせるのも才能だし、たったひとりにだけ突き刺さるのも才能だ。
アクセルを踏み込むタイミングを間違えないのも才能だし、ブレーキを踏める勇気も才能だ。
つまり、明確な答えもないくせに我々を問い詰めてくる存在だ。
例えば音楽に関して言えば
絶対音感はひとつの与えられた才能だろう。人の気持ちを感じすぎるのも才能だし、それを形にできるのも正に才能と呼べる。
じゃあそれをどう評価すればいいのか。
数字的な捉え方もわかりやすいが、結局は自分以外の人がどう感じたか、に尽きる。
どんなに素晴らしい音楽でも洞窟の中でひとり口づさんでいたらそれは日常だ。
他人に渡して、良くも悪くも評価を得る。そして誰かの人生に少しでも良い影響をもたらすことができたらそれは才能と呼んでいいのではなかろうか。
才能を育むのに必要不可欠な素材がある。
それが「孤独」だ。
孤独の時間に磨かれるものは、社会の中だけでは形成できないものが必ず混ざり込む。
言わばそれが才能の種だ。
元々何かが上手になるのなんて、普通に生きててはできない。ましてやプロなんて呼ばれる人達は100%変人の集まりだ。これを否定できるプロがいたら会ってみたい。
その種を懐に持ったまま、最初は社会の中で恐る恐る向き合わせていくのだ。
すぐに成功する人もいるだろうし、結局咲かない種の人もいる。
でもまずは種を持てるかどうか。そこには孤独が必要なのだ。
そして相反して、孤独だけでは才能は完成しない。
今度は水が必要になる。
水とは他人であり、他人の意見だ。
これは暖かい日もあれば、どうしようもなく冷たい日もある。
しかし両方が必要な水なのだ。
才能とは最初、自分の方を向いている。
お前はできるのか?と毎時問いかけてくる。
それに負けじと向き合いながら、よくわからないまま成功と失敗を繰り返す。
それが後に経験と呼べるものになるんだけど、そんな事は知らないまま進むしかない。
ある時その経験がひとつの成熟を迎えて、形になる。
歌になることもあれば、演奏になることもあるだろう。あるいはそれは絵かもしれない。
問題はその先だ。
自分ひとりではいつか足りなくなるのだ。
飛べていたつもりが飛べなくなるのだ。熱量だけで飛べる距離には限りがある。
そこで必要になるのが水だ。
この水を燃料にして、なるべく遠く、なるべく永く、飛べるようにしなければいけないのだ。人生は長いのだから。
ひとつの答えを言ってしまうと
才能はまずひとりで成熟させなければいけない。でもそれだけでは完成しない。
誰かのために才能を使えた時に、やっとそこに意味が生まれる。
それが自分が最初思い描いた姿でなくてもいい。その段階になったらそんな事どうでもよくなっている。言い換えれば違う価値をちゃんと見つけれる経験をしてきているはずだ。
これを読んでいるあなたは今どのあたりを歩いているだろう?
水が必要になったら、自分の中ではなく、外に目を向けてみて欲しい。
溢れる程の水に気付けた時に、あなたの才能はあの日のようにまた生き生きと輝き出すだろう。
え?天才と称されるベートーベンは見るからに孤独の塊で、誰かのためにやってると思えないって?
でも聴いた事あるだろう?「エリーゼのために」って曲を。
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バンドマン / ギタリスト シンガーソングライター / アレンジャー / WEBデザイナー / プロデューサー
SKY MUSIC 代表取締役
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